2026年9月9日
小宰相局(こざいしょうのつぼね)の墓を訪れた。
高松自動車道から神戸淡路鳴門道に入る。ここから10kmも走れば鳴門海峡だが、海峡手前の鳴門北ICで降りる。
紀伊水道沿いの一般道を走ると、大毛島と鳴門市街の間、「小鳴門海峡」に出た。
海峡を見下ろす小高い丘に小宰相局の墓所はひっそりと佇んでいる。
約800年前、一ノ谷の戦いで惨敗した平家は、四国・屋島を目指し敗走する。
その中に平通盛(たいらのみちもり)の姿は無い。
屋島へ逃れる船団の中で、妻・小宰相局(こざいしょうのつぼね)は通盛の生還を待つが、やがて通盛の従者・滝口時員が帰還し、討死した旨と奮戦の様子を報告する。
絶望した小宰相局は後を追う事を決意。一時は乳母に止められ思いとどまったように答えたが、周囲が寝静まった夜中を見計らって海中に身を投げた。
舵取りがこれを見かけ、ようやく小宰相の体を引き上げるが既に死んでいた。
平家物語・巻第九(小宰相身投)では、この時の乳母の描写が痛ましい。
「 めのとの女房手に手をとりくみ、顔に顔を押し当てて、『などや是程におぼしめしたつならば、千尋の底までもひきは具せさせ給わぬぞ。さるにても今一度、もの一言葉おほせられて聞かせさせ給へ』 」
~乳母は小宰相局の手を握り、顔に顔をおしあてて「これほどにお思いであるなら、御供致しましたのに。あぁ、もう一度何か一言、声を聞かせてください」~
その後、人々は局の気持ちを推し量り、通盛の鎧を亡骸に着せて水葬した。
享年19歳、戦いの前夜、通盛に懐妊を明かしたばかりであった。
後世の人々はこの悲劇をたいへん悼んだ。
特に「鎮魂」の意味合いが強い、能「通盛」では通盛・小宰相局は亡霊として一緒に登場している。能作者は二人を死後に再会させたのである。
そして最後には旅僧の供養により二人はそろって成仏するのである。
能は平家物語を典拠とする曲目が多い。
元は大衆演劇であるため、観客が共感・同情するエピソードが人気を得やすく、観客の悲劇に対する「こうであって欲しい」「成仏して欲しい」という願いに対する一つの答えだったのではないだろうか。
今も、小鳴門の海を見下ろすその墓所には、新しい花が供えられていました。

