無収縮モルタルと瀬戸内海

西暦600年、人間の成長で言えば少年から青年への移行期であった日本は、選りすぐりの秀才達を先進国・隋へ送ります。

後に「よつのふね(四隻の船に分乗させたことにちなむ)」とも言われたこの遣隋使・遣唐使は、遭難率4割というハイリスクな国家事業でした。

この国の人材という人材を詰め込んだ船団は、難波津(今の大阪市中央区付近か)を出航し、瀬戸内海から筑紫を経由して大陸を目指します。

選ばれた乗員も、見送る側も、双方とも悲壮な覚悟だったと想像します。

 

 

「旅人の 宿りせむ野に 霜降らば 我が子羽(は)ぐくめ 天(あめ)の鶴群(たづむら) (遣唐使随員の母)」

 

現代語訳:旅人が野宿する野に冷たい霜が降ったら、私の子をお前の翼で温めてやってくれ。空飛ぶ鶴の群れよ。

解説:天平5年(733年)出航の第10次遣唐使の出船時に詠まれた。なお、本船団は4隻とも唐へ無事到着したが、翌年の帰路で全船が遭難。

第1船は種子島に漂着し、帰還を果たす。

第2船は唐に流し戻され、その2年後に都に帰還。

第3船は南ベトナムに漂着し、現地人の襲撃を受け100余名が4人となる。5年後、渤海国(朝鮮半島北部~ロシア沿岸部の国)から日本海を渡り帰国。

第4船は行方不明。

 

 

「天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも (阿倍仲麻呂)」

 

現代語訳:夜空を遠く仰ぐと見える月。あの月は故郷・奈良の三笠山に出たのと同じ月だろうか。

解説:作者・阿倍仲麻呂は第10次遣唐使(733年)で入唐。帰国船の遭難や、唐国内の混乱もあり、帰国は叶わず唐の地で生涯を終える。

本歌は阿部仲麻呂作と伝わる唯一の歌。

 

瀬戸内海の島々を眺めていると、瀬戸内海から文字通り命がけで大陸を目指した歴史の当事者達に思いを馳せます。

彼らによってもたらされた最新の知識・情報により古代日本は律令国家、国際国家として歩みました。

 

 

 

さて、瀬戸内海を眺めていると同様に必ず思いを巡らせる事の一つに、「無収縮モルタル」があります。

 

岡山県倉敷市と香川県坂出市を結ぶ瀬戸大橋は「夢の架け橋」と言われ、昭和53年秋に着工。

当時の科学技術の粋を結束し、9年余りの歳月と、地上部も合せ1兆1千億円余の巨費を費やして完成した国家的プロジェクトでした。

この建設工事で無収縮モルタルは大々的に使用され、大きく発展しました。

 

当時、無収縮モルタルメーカーの担当者、建設工事の「当事者」として参加していた方からお話を聞く機会を得ましたので、ここにまとめたいと思います。

 

■最初の規格化は昭和42年

道路公団で昭和42年に規格化(“公団規格304”)され、これが最初の規格化だそうです。

※東名高速自動車道(S37~S44)の建設工事に伴い、又は教訓から制定されたか

【鉄筋付着試験の様子 本試験もS42年で規格化】

町田の道路公団試験所(現・NEXCO総研??)を中心に規格化作業が行われたそうです。

現行規格(NEXCO試験法312)の内容はほぼ当時出来上がっているようです

 

■初期の無収縮モルタルについて

当時はまだ膨張材は一般化されておらず、プレミックスした鉄粉を強制的に酸化・膨張させ無収縮性を担保していた。

同様、ブリージングを止める技術も確立されていなかった。自然、沈降するがその後の膨張で補完していた。

→つまり「最初はブリージングで沈降するもの」という考えが前提

また、酸化鉄粉によって表面が茶色に変色していた。

そのため、表面養生のため「保護モルタル」を後施工していた。

 

■膨張材の衝撃

昭和48~49年頃、D社が膨張材を配合した無収縮モルタルを上市。

【倉敷側地上部の主塔 間近で見るとその巨大さに足がすくむ】

「錆びず、保護モルタルを必要としない無収縮モルタルが出たらしい」という噂は衝撃的だったそうです。

 

■本四高速

大規模斜張橋では主塔の設置が大がかりだった。

ベースコンクリートを打設後、研ぎ出し・研磨工でレベルを出し、主塔を設置。範囲に収まらないなら取り外してまた研磨・・・という工程だった。

瀬戸大橋の工事のうち、櫃石島橋でのみ、無収縮モルタルを使って主塔が設置された。

 

施工に先立ち、三菱重工・広島工場で実物大(!!)のモックアップで施工実験を行い精度を確認した。

昭和57年5月に実施工。オーバーフロー側にダミープレート※を設置して充填率を計測した。

※鉄板を使い、硬化後に取り外して充填面積を計測。出口は圧力が小さく巻き込みエアーが入りやすい。よって安全側の評価となる

 

 

 

 

瀬戸大橋での実績を受け、その後のレインボーブリッジ、安治川大橋(阪神高速)では主塔全てに無収縮モルタルが使われたそうです。

【源平合戦の激戦地でもある当地に建つ平行盛の歌碑 奥に見えるのが櫃石島】

 

さて、近年は同業者の縮小・廃業が続いています。

無収縮モルタルだけに限らず、道を受け継ぎ、さらに発展させるのは私達の番になったようです。

いつの間にか、自然に受け取ったバトンですが、未来の同業者へ渡せるように発展させたいと思う近頃です。

 

 

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